私の野望

私の野望は華僑、越境、印僑ならぬ
和僑の拡大とそのトップに立つこと。

もはやそれ以外に日本を救う道は無い。

私の見えている未来では、圧倒的な中華系の人口に振り回されて
コントロールされる残念な日本だ。

今後の世界は、武器や経済によって左右されるのではなく
世界各地に広がるネットワークの力によってコントロールされると私は見た。

中国は1人っこ政策によってはじきだされた少年少女を世界に送り
そこから巨大な華僑のネットワークを作り出した。1億人の富裕層が一つの国へ進出し
金をちかつかせて結婚すればそれだけで2億人以上の親中国家の誕生だ。
今後は如何に海外へ人を飛ばし、根付かせ、血でその国を征服するかという時代になる。

日本人はもっと海外へ出なければならない。
海外へ出て、性交渉を繰り返し、日本の外に日本の血を振りまかなければならない。
日本には核もなければ軍隊も無い。抑止力が何一つ無い。
日本に核爆弾が落ちれば一撃である。だが、世界へ拡散して置けば彼らは生きる。
日本が消えないという保障は何一つ無いのだ。今そのリスク分散をしなくていつするのだ?
核で消えた我々の先祖、親族、家族の敵を誰が討つのだ?
やられたらやり返す。それが自然である。やられてそれを我慢する、それは不自然だ。

私は世界を回り、転職を繰り返す。あらあゆるビジネスを学び、ビジネスとビジネスを繋げるコンサルタントとなる。
私は皆様の生活の悩み、仕事のを悩みを聴き、それに解答を与える存在になる。
私は皆様へ場を提供し、そのリターンを和僑グループで分かち合う。  


日常から学べ

机の上で勉強する時代は終わる。
机の上で勉強している場合じゃない。

遊んで学ばなければならない。
働いて学ばなければならない。
つまりは、日常生活で学ばなければならない。

植物を買ったなら、その名前、産地、どういった種類の植物でなどを
覚えなければならない。1の植物を買えば1種類の植物の名前を覚えるだろう。
100買えば、100種類の植物の名前を覚えることになる。これはつまり、100のボキャブラリーが増えたことになる。

私が言いたいのは、何かを覚えるには何かを払えばよい。
買い物とは、単なる物的欲求を追及するためだけのものではない。
買ったものを日常生活で使い、特性を掴んでそこから学ぶという知的欲求を追及するものとしても
あらねばならない。

私が最も興味があるのは日常である。
日常の何に目をつければ、そこで復習できるのか。現在の学習の前提は机上の学習である。
そこで学んだものを日常生活で生かすというものである。

しかし、私の見える未来は、もはや机なんぞ必要ない。
顔を洗って学ぶ、寝て学ぶ、食べて学ぶ、運動して学ぶ、性交渉して学ぶ
いずれ生活から何を学べるのかをはっきりさせ、机の上で学ぶ機会が減少していくと私は見ている。

なぜなら、机上の学習は何も生み出さないからだ。
ただ時間と鉛筆の芯を消耗するだけだ。知的欲求が日常にあることに気づけば、自然と机の上に座る必要も無くなる。

日常こそが最も大事な学習の場で、本当に賢い人間は机なんぞ必要ない。
物を見て、聞いて、納得する。これが基本だろ?  


言語を学べ

日本はやばい。
まず言語レベルが低すぎる。
はっきり言うが、越南より遥かに下だ。
カンボジアとどっこいどっこい。

そう思わない人は、まず大陸へ行け。
中国人と会え。

よく多言語国家としてヨーロッパが話しに上がる。
英語、フランス語、イタリア語、スペイン語これらの言語を話せるヨーロッパ人はすげーなとか
数で言えば4ヶ国語だが、例えば中国人が日本へ来て
外国語を学んだとしよう。

まず最初の共通言語はおそらく英語だろう。日本に住んで日本語で生活し
その他の言語を学ぶ。それだけで中国語、英語、日本語、その他の言語ともう4言語プレイヤーになってしまう。

日本人は言語に対する苦手意識が強すぎる。
それを島国という理由だけで片付けるにはもったいなすぎる。

大陸へ行けば、理解できる世界がある。
その一つが言語である。ベトナム人は時々日本人に嫉妬する。

ベトナムも元々は漢字を使う国だが、今はアルファベットを使っている。
おかげで漢字はかけない。しかし、ベトナム語の中には70%くらい漢越語が存在する。
もし彼らが今も漢字を使っているならば、中国語を学ぶのにそんなに時間をかけないだろう。

我々もアドバンテージを持っているのだ。
私は人生を賭けて、10ヶ国語ほどビジネスレベルまで持っていくつもりだ。
日本語、英語、ベトナム語、中国語、韓国語を30歳までには身につけるつもりだ。おそらく身につくだろう。
問題は残りの5ヶ国語だ。
現在の予定ではスペイン語、ロシア語、フランス語、インドネシア語にビルマ語あたりを考えている。
スペイン語は大学時代に学んだので、おそらく何とかなる。南米の関係があるのでみにつけねばならない言語の一つだ。
フランス語は英語、スペイン語から共通項を探し出し、無理やり覚えるつもりだ。こっちはアフリカの関係だ。
インドネシア語は簡単なので有名だ。英語学びにインドネシアへ行き、インドネシア語のネイティブになって帰ってくるなんて
話があるくらいだ。

ロシア語は好きな曲が多いからそれを取っ掛かりにして覚えたい。
ダッタン人の踊りとか最高だ。ビルマ語は取っ掛かりなし、住んで女とやりまくって覚えるしかないな。

私は言語くらいできなければならない存在だ。
言語の壁くらい越えねば、私の野望は達成されないだろう。


  


コントロール

普段、言えない、普段言わない真面目な話をここでする。
単なる苦労話になるだけかもしれないが、本当にそうだと思ったこと。

まず一つ言えば、世の中何一つ保障されたものなんてものは無いってこと。
大人が偉い、大人が助けてくれる
給料なんて貰えて当たり前、働いたら貰える物

それぞれ嘘、そんなものは本当に嘘だ。

大人になれば、自分を守るので精一杯
正確には、自分の家族とかを守るので精一杯

堅気である限り、裏切っても仕方が無いくらい弱い存在。
自分より一回りも、二回りも違う存在でも、結局可愛いのは自分だ

給料とか、出るだけでありがたい。
出してくれるだけでありがたい。そう思える人生を送ってしまった。

自分を守れるのは自分だけ、守ってくれる人がいたらそれはラッキー
当たり前じゃない、その人が死ねば誰も助けてはくれなくなる。

誰かに頼って生きてばかりいると、いずれ待っているのは
誰かにコントロールされて生きる毎日

主体性ゼロ、それって生きてるっていえるんだろうか?